吉村堅樹:はぐれ人とわたし

夕暮れ時、交差点で信号を待っているとき
後ろを振り返ると打ちっぱなしの壁に
車椅子を寄せて、座っているおじいさんがいた。
車椅子の背もたれに杖をさし、うすねずみ色のハットを
かぶって項垂れている。
ん?どうしたんだろう?
体調でも悪くなったのだろうか?
付き添いの人はちょっと離れていて、
すぐ戻ってくるんだろうか?などという考えが連続的に浮かんで、
声をかけたほうがいいのか、いやいいかなどと
行きつ戻りつ思いめぐらし、
うーん、声かけないでいいやと思って、
おじいさんのほうをちらっと見ると、
おじいさん、僕に手を合わせて拝んでいる。


「お願い事があります。お願い事があります」
と繰り返している。
おお、やっぱり体調が悪くなったのか、
付き添いの人が帰ってこないのかなのだろうと近寄って、
「どうしましたか?」と聞いた。
「お願い事があります。お願い事があります」
「はい。なんでしょう」勇んで聞くと、
「もう、元気がでないのです。アパートはすぐそこなのですが、
元気がでないのです。チューハイを買ってきてもらえないでしょうか」と言う。
なに?チューハイ?
なるほど。顔を近づけてみると確かにすでに酒くさい。
それでも乗りかかった船であるから、いいですよと安請け合いし、
ところでお金預かっていいですかと聞いたら、
ああ、ああいいですよとおじいさんは千円札をとりだした。


「で、チューハイってどんなチューハイを買えばいいんです?
レモンとかですかね?」と聞くと、
違う違う、水割りだという。
なんていうやつですかと聞いても、年をとってるからわからないという。
黒い缶で水割り、
コンビニはいってまっすぐいって
左のこのへんこのへんにあると壁に指で教えてくれる。
いい、鹿児島の焼酎、私は北海道出身だけどねと出身なぞ聞いてないのに教えてくれた。


千円札を右手に握り締め、コンビニに向かうと確かにあった。
買って戻ってくるとまたさっきと同じように項垂れている。
買ってきましたよ。といって缶を渡すと、
おじいさん顔をあげて、
「ん?1缶?1缶しかないの?わたしはこうして指を2本出した。あぁ」
なんていって、指を2本突き出しながらがっかりしている。
「じゃあ、もう一回買ってきますよ」といっている先から
おじいさん缶をプシュっと開けて、飲みだした。


「私は北海道なんだけどね、あなたは東京生まれでしょ?」ともう人の話を聞いてない。
「いえ、京都ですよ」というと
へえ、京都とは珍しいと殊更な珍しがりようをする。
「京都といえば美人がずらっと並んでいるところですよ」
「いやあ、美人かどうかはわからないですが」
「京都は芸能人もよく遊びにいくでしょう」というから、
「そうですね。いくんじゃないでしょうか」というと
「なんで芸能人にならなかったの」という。
なんでっていわれても
「芸能人ですか?なかなかなれないんじゃないですかね」というと
「いやあ、そんなことはない。
プラットホームをすらっとして歩いてみなさい。
誰か一人でいいんです。スカウトに声をかけてもらえれば」という。
「はあ」
「ただね。あれがないとだめです。
えっとなんていったっけな。
あ、そうそうローラ、ローラがないとね」
ローラ?一瞬『傷だらけのローラ』が頭のなかでなったが、
「それってオーラじゃないですか?」
「そうそう、そのオーラ」
これはどこまでもいってしまいそうだ。
おじいさんの車椅子をアパートまでおしていって、
焼酎を飲みながら語りあう二人の姿も脳裏によぎったが、
いやいやそれもちょっと微妙だなと、
二本目の焼酎を買って渡し、失礼しますねと
おじいさんは名残惜しそうであったが別れを告げた。


どうも、僕はまったく不案内なところで道をきかれたり、
声をかけられることが多いのだが、
迷い人、はぐれ人の彼らからすると、
ずっと迷ってはぐれっぱなしの僕は、
同じにおいがするのかもしれない。


夕暮れ時に異界への案内人との遭遇。
あのおじいさんについていった僕の姿を
想像で遊ばせている。吉村堅樹: