【月読】月を見ずとも月夜なり

湿気と埃をはらんだ風が顔にふきつけて、
目元にやにばかりをためる。
上を見上げてもどうもお月さまは見えない。
こんなことばかりを東京にきてからは繰り返している気がする。


今日は9月1日。
月初になると『ルナティックス』、その月のものをひとつずつ読むことにしている。
ついたちのお楽しみなのである。
読んでいるとどうもルナティックになるのか月を見たくなって、
ドアをぱっと開けて、腹巻とパンツで表にでて、
しばしうろうろとしてみるものの、そんなときにかぎって月は姿を見せない。
町のなかで暮らす身は恥ずかしさが先にたち、
そのうち我の姿や佇まいを振り返ってせったをひきずりながら戻ってくる。


今日などは風があるのだが、
それでも都会の風通しの悪い部屋にいると、まだまだ蒸し暑い。
「夏の霜」でも欲しくなるというものだ。
つい突飛な行動をしたくなるのは『ルナティックス』を読んだためばかりではなかろう。


部屋にもどり机に座り、
首を右に向けると見えるのは、街灯。
夜の残暑の空気の中、青白く十字に光残り、
孤独な未確認飛行物体のようでもあり、
使命感に燃えるたったひとりの警備員のようでもある。
そうまさに、今月の主役、賢治の『月夜のでんしんばしら』
ん?『でんしんばしらの月夜』なのである。
見えない月は街灯の姿をかりて、『ムーンチャイルド』の囁きを聞かせるのか。
左を振り向けば、衝動買いしてしまった小さな月球儀。
スタンドと窓枠が見事な陰影のコントラストをつくり、
即物的な月欲も満たしてくれているのだ。
これでは「月はどっちに出ている」と聞くだけ野暮というものであろう。