『日本の失敗』僕の失敗

吉田拓郎は「この国ときたら 賭けるものなどないさ」と歌い
「くだらない世の中だ しょんべんかけてやろう」とブルーハーツは歌う。
そんな国ニッポンというのが、気づいたら僕の認識になっていた。


もし自分はそんなことを思っていないという人がいたとしても、
いま現在、国と自分が目指すべき方向性を共有できているとは
誰も思っていないのではないだろうか。
それは極めて不幸なことだと思うのだが、
いま、そんなことを言っても空々しく聞こえる。


蝉が鳴いている。
しゃーというシャワーのような音の中で、
じぃこじぃこと一際大きな記号的な泣き声がする。
8月は戦争の季節である。


あの愚かな戦争、あんなことをしでかして、悲惨な、むごい、馬鹿げた、
こういった形容で戦争を評価することは、
そのまま、自らの系譜をそのような背景で評価することでもある。


では、
英霊、尊い命で日本国土が守られた、国を守るために、家族を守るために、
こういった文脈で語られればいいのかというと、
この話の流れからは、危ない思想展開の臭いを拭い去ることはできない。


どこが失敗だったのだろう。
それをさかのぼって考えると、
それは江戸時代末期の開国のときから考えないといけないのではないかというのが、
松本健一『日本の失敗』や、松岡正剛『日本という方法』や
もうすこし平易な本で言えば福田和也『魂の昭和史』の見方ではないかと思う。


江戸時代、日本は300年という世界に類をみない平和な時代を過ごした。
江戸時代になったときに、
徳川幕府がくにづくりのモデルとしようとした明が崩壊、
漢民族ではない女真族の清がおこる。
日本にとって常に漢民族が見本とするものであったが、それが崩壊したことで
見習うべきものがなくなった。
ここで初めて、では日本こそが本場になればいいじゃないかという考えがでてくる。
端折った説明になるが、平和な時間と鎖国と明の崩壊があいまって、
江戸時代は武芸、遊郭浄瑠璃、根付など多様な文化が花開き、
株仲間、地方自治などの経済・社会的側面からも独自の発展を見せた。


これが300年続いたのだが、
承知のとおり黒船がきた。
中国がアヘン戦争でひどい目にあったことは既に日本には伝わっている。
日米通商修好条約、日米和親条約不平等条約を結ぶことになったのは周知の事実である。
その後、日本が独立、生き残りのために選んだのは欧米列強と同じ帝国主義の道であった。
それについて『日本の失敗』から引用する。

ヨーロッパの帝国主義に対しては、ヨーロッパ型の国をつくる以外に
独立自存の方法がなかったのです。
いま考えても、それ以外に方法は見つかりません。
          司馬遼太郎『明治という国家』

日清戦争日露戦争と日本は勝ち、日本は帝国主義列強の仲間入りをすると同時に、
明治末期には不平等条約も解消した。
そしてヨーロッパに歴史上最大の損害を与えた第一次世界大戦である。
ここで列強各国は国際連盟軍縮の動きを見せる。
松本健一の言葉で言うのであれば
テリトリーゲームからウェルネスゲームへと転じたわけである。
しかし、日本は気づいていなかった。
特に日本の軍部は気づいていなかった、気づきたくなかった。
やっと列強の仲間入りができたということなのであろう。


開国からここまでの日本。
これは司馬遼太郎が指摘するように
日本の帝国主義化は歴史に強いられた選択であったということを
松本健一も書いている。
日本はこのあと対支二十一か条の要求、
関東軍の独断専行による満州事変という歴史の道を辿っていくわけだが、
この流れの中で日本は“愚かな”戦争へ踏み出していくことになる。
そのキーとなったのが『統帥権』という魔法の杖であるというのが松本の主張だ。


統帥権とは、
「陸海軍の長官は、内閣に従属せずして、国家の主権者たる天皇により直接に
統帥されている」というものである。
つまりは、軍隊のことは政治で決められない。軍隊が決めるというものなのである。
この『統帥権干犯』の思想により、日本の政治は軍隊を統御する力を失っていき、
「右翼の国家主義的熱狂を引き起こし、ロンドン海軍軍縮条約を批准した浜口雄幸首相の
暗殺事件を生み出し、ひいては昭和七年の血盟団事件五・一五事件へとつながってゆく」
この『統帥権』を軸にどのように日本が戦争に突入したかの詳細は
直接『日本の失敗』へあたられたい。


日清・日露両戦争のときは「国際法に戻らざる限り」一切の手段を尽くし、
精一杯戦えというものだったのが、
この『統帥権干犯』の思想をきっかけに、大東亜戦争は『聖戦』の名のもとに、
「生きて虜囚の辱めを受けず」という東条英機が上奏した
『戦陣訓』が指示されるようになった。


「日本は「不戦条約」などの国際法を破った結果として、国内ルールである憲法
「戦争の放棄」をうたいこまざるをえなくなったのだ」
「その血の負債をすべて戦犯に支払わせ、憲法に「戦争の放棄」をうたいこめば、
永遠に平和がおとずれる。−−−そんな幻想に安住して、日本は戦後半世紀、平和創出の
ための国際責任をなおざりにしてきたのではないか」と締めて、
『日本の失敗』では筆を置かれている。


ミクロの視点での、戦争の悲惨さについては、原爆や沖縄や戦場での状況など
多くの人が見聞きし、知っていることだと思う。
しかし、マクロの視点で、歴史の中で、どのように日本は戦争への道を辿ったのか、
どこで間違えてしまったのかということを知ることは大いに必要なのではないかと思う。
そして、まだ日本はなにも選択していないのだということも。


このことを、知らなかったことが、今までの人生の『僕の失敗』であった。
終戦記念日に記す。