吉村堅樹:8月の焼けた砂 そこに語り部がいた

8月になった。
8月は戦争の季節、戦争を思い出す季節だ。
いまもNHKの深夜では毎日
『兵士たちの証言』という特集をしている。


年々、証言者が少なくなる中で、
戦争の体験を生々しく語れる語り部の存在は
ますます希少に貴重になっていくのだろう。


この8月の最初だけでも、1年に1回戦争のことを考えるのが、
季節の室礼のようにさえ思える。


戦争に関して考えるときに、
戦争の局面や当事者の証言という
「寄りの目」はもちろん重要なのだが、
日本が明治の開国以来、どういった道筋を辿って
大東亜戦争に突入していったのかという「引きの目」で
語ることも映像メディアでもやってもらえないだろうかと思う。
「寄り」と「引き」の両方から、60年ほど前の戦争をみることが、
妙な終末観や無力感ではないものを戦争という経験から引き出す上で
極めて重要なことではないだろうか。


さて、「寄りの目」の話だが、
岩波ホールに『嗚呼、満蒙開拓団』を見に行った。
羽田さんには骨太なドキュメンタリーを期待していたが、
ドキュメンタリー映画としては、不足や緩みが目立つものであった。


まず開拓団の歴史の説明が乏しい、
インタビューがソ連の対日参戦以降の状況に集中している。
開拓団だった人の、中国がたてた慰霊碑へのツアーがあり、
そのツアー参加者に取材対象がほぼ絞られている。
それならば、物語としての構成を期待したいところだが、
物語としての困難やカタルシスも弱い。
と散々な酷評なのだが、
観客の入りはお年寄りを中心に満席であり、
関心の高さをうかがわせた。


昨年、同じ頃に見た戦争ドキュメンタリーに『ひめゆり』がある。
こちらは沖縄のひめゆり部隊出身の女性だけに取材対象を絞り、
戦争勃発前から、集団自決に至るまで、
時間軸にそってインタビューを構成していて、
映画としては大いに成功していた。
構成も成功要因の一つなのだが、
彼女たちはまさに語り部であり、
この戦争のことをなんとしても伝えていくという活動を
戦後、続けてきたわけである。
ひめゆりの彼女たちの語りは、
いかに真に迫って状況や感情を伝えるかというために、
声の抑揚から表情や動きにいたるまで、磨かれていた。
語り部が社会から消えて久しいと思っていたのだが、
戦争という媒介を通して、語り部はまだ生きていた。吉村堅樹: