敗北者宣言

僕には10歳の子供がいるのだが、
子供をつくるということは、
どこかしら人生の敗北者宣言であるように思う。


こういうことをいうと、
子供がいる人からは反感を、
子供がいない人からは共感を、
いやまたはその逆もあるかもしれないが。


埴谷雄高は、
「人間が自分の意志でできることは、自殺と中絶だけだ」
と言っていたが、
子供をもつということは、
自らの意志とは関係なく
まさに自然の摂理に従ったということではあるのだろう。


とすれば、自然の摂理に従って、
死を受け入れて、
自らの遺伝子を後世に残すという行為は
意識的にせよ
無意識的にせよ
まさに敗北者宣言にほかならない。


それに逆らう人は、
では敗北者と対になる勝利者なのかといえば、
もちろんそんなことはあろうはずもなく
厳然とした敗北者であるわけなのだが、
それでも彼らは敗北の苦さを
しかと噛み締めているのではないかということがある。


自然の摂理に従う者は、
敗北者が敗北者である苦さを受け入れずに、
その埋め切らない断片を
子供という遺伝子の承継者に
託すことによって、
勝利者たろうとしている傲慢な夢想者ではなかろうか。


判然としない勝利者たる夢想に酔い、
今際の際にも、自らを欺こうとせねばならない、
そんな愚をおかすことはなく、
いまここで黄昏の敗北者宣言。
不撓不屈の敗北者宣言。
鳥が目覚める前に。