陳腐さに対する戒め

今日、NEWS ZEROの特集コーナーを見ていた。
キャスターがユーミンにインタビューをしていて、
「これからの目標は何ですか?」といった質問をした。
そこではっとしたのだが、
それと同じようなシチュエーションを2つ思い出したのだ。


ひとつは、僕自身の話。
ISIS編集学校の会合で、
酔いもまわってきたころ、学匠の方につい、
「松岡校長はこれからどういったことを目指されているんですかね?」
と聞いてしまった。
間をおくことしばし、
「その質問を校長にしたら、『その質問はつまらない』と
言われると思います。」と返された。
しまったと思ったが、後の祭りである。


ふたつめは、その松岡正剛の最近作『多読術』の中のエピソード。
編集者であった松岡正剛が、
学者宅で書物があまりにも多くあるのをみて、
「どうやって書物を読まれているんですか?」
と聞いてしまった。
すぐにしまったと思ったが、
間をおいて
「君はどうやって飯を食べているのか」と答えられた。
(記述は不正確です。)


僕との違いは言われる前にきづいたか、
言われてから気づいたかということであるが、
やってしまったことは
まさに陳腐な質問をしてしまったなということである。
言葉というのは難しい。
いや、もちろん言葉だけでなく
目に触れるもの、耳に入るものすべて難しい。
しかし、その難しさをしっかり引き受けることが
おもてなし。
相手があるという意識なのだと思う。


そのキャスターはさらに、
「物質の豊かさから心の豊かさ」
「かげではかり知れない汗と涙が」
といった表現も使っていた。


陳腐さに対する戒めは、
自らのためでもあるのだが、
それを味わってくれるひとのためでもある。
手間ひまをかけた心ある料理を出したいものだ。