有朋自遠方来 不亦楽乎

子曰、
「学而時習之
不亦説乎
有朋自遠方来
不亦楽乎
人不知而不慍
不亦君子乎」


子曰はく、
「学びて時に之を習ふ
亦説ばしからずや
朋有り遠方より来たる
亦楽しからずや
人知らずして慍みず
亦君子ならずや」
論語孔子より

サイパンから友人が帰国し、
昨日は雨の中、旧交を温めていた。
年月により旧友とは疎遠になるものなのだが、
このような訪問は愉快なものである。


疎遠になる理由のひとつとしては、
各々が家族であったり、仕事であったり
違う環境をつくっていくということもあるのだが、
妙な分別がついてくるということもある。


その妙な分別がどうも曲者なのだ。
迷惑をかけないでおこうという
つまらない了見が顔を出す。
迷惑をかけないでおこうと考える人間は
迷惑をかけられたくないとう心理も働いている。
そこで生まれるものは、
うわべをなぞるような味気ない
コミュニケーションだ。


僕は大いに迷惑をかけたほうがいいと思っている。
ただ、迷惑をかけるにもどうせなら
大きくかけたほうがいい。
そしてそこに相手に対する
親愛なり、恋愛なり、尊敬なり、執着なりが
あったほうがいい。
なんかちょっといやな感じとか
そんなくらいの迷惑じゃつまらない。
大きな迷惑は大きな印象になって
迷惑をかけられた相手の人生を彩るだろう。
迷惑のかけかたにも
情熱と演出が必要なのである。