『邪宗門』に悪戦苦闘

邪宗門を800文字で人に伝えるということをやってみよう。
これをここ数日ずっと取り組んでいたのですが、
観念の檻をやぶることがまたもできませんでした。
無念。。


最初のもの。もうぐだぐだです。
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 <邪宗>の<邪>であった。15年前のこと
である。堺にある日蓮宗の寺のアルバイトだ
った私は、信仰もなく、経の意味もわからな
いまま死者のための、いや生者のための読経
をし続けた。罪の無意識を魂の奥深く澱のよ
うに沈殿させながら。綿毛のような埃がかか
ったその寺の本棚に『邪宗門』はあった。
 大本教に材をとった、ひのもと救霊会の破
滅への暗く壮大な叙事詩である。昭和6年、
主人公の少年、千葉潔が教団のある神部駅に
母の遺骨を抱いて降り立った。物語は、教団
への弾圧とその壊滅、大東亜戦争の戦前・戦
後を縦軸に、潔、教主とその2人の娘、信者
らの群像劇を横軸にして、森を襲う土石流の
ごとき濁流となって展開していく。
 埴谷雄高の影響を受けたことを自認する高
橋は、当時、学生運動にのめりこむ若者に共
感をもって支持された。彼らが共有したのが、
妥協のない窮極的な革命の理想とその不可能
性ゆえの絶望である。「たしかに<邪宗>だ
った。淫嗣邪教の故に邪宗であるのではなく、
窮極において、この世を信じえず享楽しえな
い人々の集団であるゆえに」高橋は<邪宗
に自らの想念と心情を仮託したのである。憂
鬱なる行進。死に向う者の足どりは暗く重い。
 では、何を求めて?全的な赦しである。宇
宙の赦し、母なる赦し。母の死肉を喰らい生
き永らえた潔の闇は、母から与えられるべき
愛が赦しがもう得られないことを知るがゆえ
の暗さ。その闇に吸い寄せられる蛍のように
女は乳が染み出す白き乳房をふくませ、貧し
き男たちに体を与えつづける。しかしそれで
も埋まらないその闇、闇、闇。
 「我が愛(かな)しみ… 我が悲しみ…」
 絶望が憂鬱にそして呪詛に変わる。
 果たして<邪>とは何であるか?
合理性や単一性を普遍する<正>に対しての
知り難い神聖なる異分子が<邪>であるなら、
誰がその絶望的な歩みを哂えるのか? 15年
前と同じ問いがすすり泣きのように響く。


続いて、もう観念バリバリです。
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 毛羽立った板敷きの本堂にある綿埃と猫の
小便にまみれた書棚のなかにそれを見つけた
とき、あたかも手にとられるのを待っていた
かのように僕には思われた。『邪宗門』。15
年前、信仰もなく、経の意味もわからないま
ま死者のための、いや生者のための読経をし
ていた僕は、自らが〈邪〉であることに罪の
意識を感じながら、どこかでそれをよしとし
ていたように思う。〈正〉が必ずしも正しい
わけではあるまいと嘯きながら。
 果たして〈邪〉とは何であるか? 〈正〉
がある。その異分子として〈邪〉がある。高
橋和巳の「悲哀と志を託した宗教団体」ひの
もと救霊会は、その世直しの思想ゆえに、国
家権力により、徹底的に弾圧された。昭和6
年の満州事変後の教主の投獄に始まり、開戦
前夜の信徒の一斉徴兵、終戦直後のGHQに
よる武力行使。高橋は「日本の現代精神と私
の夢とを、(中略)格闘させることが必要だ
ったのである」といっているが、まさに〈正〉
と〈邪〉の格闘が物語の一つの側面である。
 立命館大学の中国語講師として白川静、梅
原猛と親交を結んだ高橋和巳は、1962年に
『悲の器』で第1回文藝賞を受賞しデビュー。
39歳で夭折した高橋が描いたのは、影響を受
けたことを自認する埴谷雄高が純粋に形而上
的な思考実験をしたのに対し、現実と理想の
間を還行する葛藤の文学であった。妥協を排
除した理想は実現が不可能ゆえに、それが発
せられたと同時に絶望の双生児を孕んでいる。
それこそがまさにもうひとつの〈邪〉であっ
た。〈邪〉の語源は「獣の大きく曲がった牙」
であるのだが、その牙は曲がっているがゆえ
自らも殺める牙である。自ら崩壊していく教
団と、母の死肉を喰らい延命した主人公・千
葉潔の心の闇、教主の寛恕と呪詛の2つの遺
書にそれを象徴してみせた。
 15年経ち、2つの〈邪〉が像を結んだ。
〈正〉を見定めながら、悲哀に満ちた〈邪〉
の〈門〉を心に。


最後、壊して組みなおすものの矢折れ刀つきる
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 首がとんだ石ぼとけの傍に蓮華がさいてい
る。そんな風景が頭に浮かんだ。
 書いたのは高橋和巳。夭折した作家だ。39
才だった。彼の『森の王様』という詩がある。
“実りなきリフレイン
だが、それが愚かな森の王の義務であり
かつて夢のうちに為せし
残虐と血の わずかな償いではないのか”
高橋は何を義務だと思っていたのだろうか?
 高橋の「悲哀と志を託した宗教団体」が
邪宗門』の舞台、ひのもと救霊会である。
昭和6年春、大弾圧を受けた教団のその廃墟
と化した本殿がある神部の駅に、白い布に包
まれた母の遺骨壺をさげた少年・千葉潔が降
りたつことで物語の幕は開いた。戦前・戦中・
戦後を通じ、教主や幹部の投獄、信者の一斉
徴兵、米の強制供出と続く受難の叙事詩を縦
軸に、教主、信者たちの人間模様・群像劇を
横軸に哀しみのタペストリーは編まれていく。
 「禁忌たる(母の)死肉を食い、愛の宗教
の母体であるものの犠牲の上に生きのびた」
主人公・千葉潔は、決して満たされることの
ない深い闇をかかえていた。母の愛が赦しが
もはや得られないことを知るがゆえに。「森
の王の義務」であると高橋がいったのは、こ
の絶望をかかえながらも一歩を踏み出さなけ
ればならないということだったのだろう。15
年前に、僕はその暗く重い足どりに自らをな
ぞらえて、ヒロイックな思いに沈潜していた。
 しかし、潔の闇にすいよせられる蛍のよう
に、教主の2人の娘が、信者の孫娘が、性の
手ほどきをする未亡人が母性の光を灯しなが
ら美しくも刹那な心のふれあいの軌跡をえが
くのである。「我が乳房を飲みね」乳腺のは
れた乳首がすでに濡れているのをみたとき千
葉潔は「獣のような悲鳴をあげて嗚咽した。」
 そのふれあいのせいか、教団は破壊しつく
され、地獄谷と呼ばれる場所になるのだが、
殺伐とした光景の中に春の日差しが印象とし
て残った。