現代のシャーマン
以前にもブログで書いていたのだが
http://d.hatena.ne.jp/kenjuman/20080921
1月7日にエリーさんhttp://psy-say.comのカウンセリングを再び受けた。
なんで2回も受けてるんだと思われてしまうかもしれないが、
この前に受けたときには短縮版だったということがひとつ、
正月割引で半額になっていたことがひとつ、
そして一番大きいのが話している間に自分で整理がついてくるということ
つまり少し整理をしたくなったというのがひとつ理由としてある。
整理というのを言い換えると、
自分のなかにもともとあった答えを白日の下に連れ出してくるといった感じだろうか。
すでに自分は答えを知っているにも関わらず、
その答えを意識として表面に出してくることを拒否している場合がある。
これが彼女が言うように、
僕自身のハイヤーセルフが答えているのか、
僕に対しての質問への投げかけとその反応を含む
身体的兆候を彼女がキャリブレーション(観察)することで
言葉を返してくれているのかは僕は知るすべはないが、
それがあまりにもぴったりきていて納得できる答えであるのは驚きなのである。
古事記で岩戸隠れの伝説がある。
アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていた時、
スサノオは機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ馬を落とし入れ、
一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。
ここにきてアマテラスはスサノオの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。
高天原も葦原中国も闇となり、様々な禍(まが)が発生した。
そこで、八百万の神が天の安河の川原に集まり、どうすれば良いか相談をした。
オモイカネの案により、様々な儀式を行った。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。
天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を採り、鍛冶師のアマツマラを探し、
イシコリドメに命じて八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。
タマノオヤに命じて八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた、
アメノコヤネとフトダマを呼び、雄鹿の肩の骨を抜き取り、ははかの木を取って占い(太占)をさせた。
賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、フトダマが御幣として奉げ持った。
アメノコヤネが祝詞(のりと)を唱え、アメノタヂカラオが岩戸の脇に隠れて立った。
アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、
裳の紐を陰部までおし下げて踊った。
すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
この声を聴いたアマテラスは、何事だろうと天岩戸の扉を少し開け、
「自分が岩戸に篭って闇になっているというのに、
なぜアメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。
アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、それを喜んでいるのです」と言うと、
アメノコヤネとフトダマがアマテラスの前に鏡を差し出した。
鏡に写る自分の姿がその貴い神だと思ったアマテラスが、
その姿をもっと良く見ようと岩戸をさらに開けたとき、
隠れていたタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。
すぐにフトダマが注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」と言った。
こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を科し、
髭と手足の爪を切って高天原から追放した。
(Wikipedia参照)
ここで天照は鏡を見て、そこにうつった自分をみて
「ああ、なんと貴い神様がここにはいるんだ」といって出てきたわけです。
と思ったら、それは自分だったということなんですね。
神社に鏡がおさめられていたり、天皇家に伝わる三種の神器のひとつにもなっているわけなのですが、
自分が鏡を通してうつっている姿は自分の祖先の姿であり、
祖先を大事にすることは自分を大事にすることにつながるということなのですが、
このあたりの理屈の考察についてはいまは飛ばさせてください。
何が言いたかったのかというと、
鏡にうつったものというのは自分ですよね。
このもうひとつの自分、亜自分に気づくということ、
これが整理をつけるという感覚に近いのかなと思ったのです。
現代のシャーマンなどとおどろおどろしいことを言いましたが、
いつの時代もシャーマンは鏡であったのかもしれません。
鏡にうつった亜自分と話をする、そこには誰からの助言よりも
納得ができる答えが確かにありました。