「育てる」ことはできない

ビジネス書でよく見るのが、部下を育てるにはどうすればいいのか
といった類のものだ。
部下がいるような立場になってから、そういった本が気になりだした。
気になるというのは、うまく育てられていないと思っているからで、
読んでみたらうまくいくかといえば、
そのとおりやろうがやはりそれは付け焼刃であり、
すっかり部下にも見抜かれているのであろうし、
部下からすれば育ってなんかやるもんかといった具合である。


ところで僕はこう見えてもどう見えても
8歳の子供の父親なのであるが、
これまた育てるというのがよくわからない。
気づくと怒っていたり、文句をいったりしているような気がする。
そんなときの僕は部下だろうが子供だろうが「育てる」気が満々なのだ。


どうやら僕は「育てる」ことができないようだ。
でも「育てられる」のはずいぶんと好きなのだ。
いつまでたっても「育てられる」ばかりじゃ困ったものだなと
なかば自らをあきれながら思っていたのだが
「育てられる」でいいのではないかと気づいた。
いや、こんなことは以前から言われていることなのだと思うのだが、
「育てられる」という意識をもって接するという考え方が、
僕には腑に落ちた。
これも忘れたりもするのだろうが、
その場面場面でまた思い出せればよい。