潰目見当大いに結構

僕の名前は「堅樹」というのだが、
ふと気になって「堅樹」って漢字としては
どんな意味があるのだろうと調べてみた。


「堅樹」の「堅」の成り立ちを調べてみると
「神様の声を聞くために目をつぶされて、
その痛さのあまり体がかたくなっているようす」とあり、
素っ裸にむかれ、ざんばら髪に手縄をされたうえに正座をして
つぶれた目から流れる血が黒く固まった僕の姿が頭に浮かび、
こりゃあんまりだと思い改名しようかなとも思ったのですが、
しばらくたつとその姿も「すさび」を感じるというのか
味があるような気もしてきた。


確かに僕は目が疲れやすい。
働いていても15時が限界で、
あとはだらだらとやりすごしている。
そんなこともあって最近は見ないようにしている。
できるだけ世界をみないようにしている。
駅まであるくなら眼鏡を外し、
目を時折瞑りながら数歩あるいてみる。
ちょっと怖くなってくると
ぱっと目をあけ、
また目を瞑ってあるく。
これがなかなかいい。


そんなことをしているうちに
目、
つぶれていても聞けるんだったらいいんじゃないか。
うれしいことだなあ、ありがたいことだなあと。
痛々しいが目をつぶされた僕の顔は微笑んでいるようにさえ思えてきた。
そう思ってくると自分の名前がますますいとおしくなってくる。


ところで神の声とはなんだろう?
ひとつは自分の内なる声。


もう一つは女性の声だと思っている。
原始宗教でのグレートマザー信仰。
シャーマンという巫女がおり、
そのシャーマンの言葉が力を持っていた。


自分の内なる声と女性の美しい声を聞くために
僕は目を潰されているのであるとしたら、
それも大いに結構じゃないかと思えるのである。