理解できない人称

NLPのニューイヤートレーニングというのがあり、
もう2週間ほど前にいってきたのだが、そこで気づいたことがあったので
記してみたいと思う。


仏教で言う三毒追放「怒らない、妬まない、愚痴らない」
どっかの居酒屋のトイレみたいだが、
勝間和代さんの本でよく書かれているフレーズだ。
そりゃそうだろうなとなんとなくわかったような気持ちになっていたのだが、
(このなんとなくがたちがわるい)
脳は人称を区別できないという話を聞いて、なるほどねと腑に落ちた。
「あいつはばかだねえ」
「やつはどうしようもないできそこないだよ」
「お前はばかか」
こういったときに、脳は人称を理解できないので、
自分に対して
「僕はばかだねえ」
「僕はどうしようもないできそこないだ」
「僕はばかだ」
といっているのと同じになるというわけだ。
それをそのまま鵜呑みにするわけではないのだが、
この三毒を口にしたときのなんともいえない不愉快さの理解の一助にはなるだろう。


僕はテレビを見なくなって10年くらい。
ニュースも見なくなって5年くらいになる。
その理由はやはり見ていると嫌な気分になるからだ。
嫌な気分になるものをみて時間をつぶしてしまうと
さらに自分がみじめな気分になる。
どうしてそんな気分になるのかと思ったときに、
よく言われることだが、
社会や世界のネガティブな部分をことさらに
メディアが煽り立てるということがある。
煽り立てるのは勝手にやらせとけばいいのだが、
それが目に触れ耳に触れるとほっておくわけにはいかない。
脳は人称がわからないのだとしたら。
そのネガティブな言葉が自分に向けての言葉となってしまう。


鬱病が増えているだとか
自殺者が増加しているだとか
格差が広がっているだとか
まあよくもこんなにネガティブな社会のイメージを流布できたものだと思う。
愚かなことに僕も
ずいぶん長い間そのネガティブなものが本当の姿なのだと思ってきた。
でもそろそろやめにしようじゃないか。
テレビを捨てよ、町にでる?
捨てた書でも拾ってくるか。