みんなちがってみんないい

わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが


飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない


わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど


あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ


鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい


『わたしと小鳥と鈴と』金子みすず

NHK教育の「日本語であそぼう」、
小錦が詩にあわせて歌っているので、
すっかり耳にのこってしまった。
気がつくと口ずさんだりしてしまう。


この詩、耳ざわりがいい。
「みんなちがってみんないい」
ああ、いいんだ。
違ってていいんだ。
よかった。
よかったわあ。
ほっとした。
ああほっとした。
なんとなく安心した。


なんとなく安心はするのだが、
もう少しなんとなくではなく考えてみたい。
「みんなちがってみんないい」
みんなちがっていて、それでいい!
のかもしれないし、
みんな違う、それがいい!
のかもしれない。


それでいい!という場合、
それでいいのだということを、理解したい。
見た目だろうが、価値観だろうが、
自分に大きな満足があるかぎりにおいてはそれでいいのだ。
細かい例外や、こんな場合はどうなんだとかといった話をしたいわけではない。
ただ、違っていることは赦されることだという認識は強く持ちたい。


それがいい!という場合、
違っているからいいのだということになる。
違う、変わっているということにはメリットがある。
人は喜怒哀楽、好き嫌い、快不快の感情がゆさぶられると
脳の扁桃体がぐらぐらと揺れ、
海馬の長期記憶に入るという。
違う、変わっているからこそ、刺激があり、
人生はより豊かになる、そんなふうに思えないか。
意見をもとめられて、
僕も同じですなんていうのは、
それはそれで仕方がないですが、
あまりにもサービス精神がないのではないかと思う。


同じでいいが、違うようにいってみたり、違うことをいってみたり。
めいめい、違うをはじめたら、違うでいっぱい。ゆかいがいっぱい。
みんなちがってみんないい