『セレンディピティの探求』ジーニアスコードとセレンディピティ

上をみあげると電線が重なっている
たてによこにななめに直線的にあるいは波打って
それに詩的情緒をみつけることもできるし、
太さの違いから用途の違いに思い至ったり、
電線の表面の形状の差異を発見することもある。
電力の供給方法を調べたくなるかもしれない。


ジーニアスコードのセミナーにいってきた。
http://d.hatena.ne.jp/kenjuman/20080915
以前にも一度やったことはあったのだが、
実際のセミナーも一度体験しておきたかったというのがあった。
ジーニアスコードの基本となるものはイメージストリーミングというものなのだが、
これは自分の頭の中に浮かんでくるイメージを
五感を使った表現で口述するというものだ。
五感を使うわけだから、その色や形だけではなく、
聞こえてくる音、触感、匂いなども表現する。


わかりにくいかもしれないのでこんなふうに表現するということだけ書いておく。
白いアヒルのような鳥がこちらを見ている
目はドナルドダックのようなアニメのような目だ。
その右側にお尻をむけているヒヨコが5羽いる。
ずっとお尻を向けていて顔をこっちには向けない。
視線を右側に移すと黒いゴム長靴が見える。
ゴム長靴とアヒルの大きさがちょうど同じくらいである。
その人はグレーのズボンをはいて白い虫取り網をもっている
遠くではトンビがなくこえが聞こえる。
ヒルの立っているところは土がむき出しになっているが、
その後ろは丈の低い草が生えていてその後ろは池になっている。
池からはあまいメープルシロップのような香りがしている
はすの葉が浮いているのだがそのまわりをあめんぼがすいすい泳いでいる
トンボはその上を飛んでいる
アメンボもトンボもさっさっと頻繁に向きを変える。
はすの葉の上には黄色と黒のまだら模様のカエルが座っている
その吸盤が異常に発達していて、
目玉は大きく濁っている。


こんな感じなのだが、
あらかじめ設定されていた質問の答えを
イメージストリーミングで連想したものから
導き出そうというのがその主旨だ。
論理的に考えたときに自分の意識に阻害されて導き出せないものを
潜在意識からその答えをさがす。
夢の分析に似ているものだと思う。


ジーニアスコードから話は変わるのだが、
偶然の発見から物事の本質を察知し、
思いもよらない世界を開発していくことで「セレンディピティ」というものがある。
書籍『セレンディピティの探求』のなかでは
これは能力であり、身につけることが可能だと語られている。

セレンディピティでは、偶然を多発させるためには、「やってくる偶然」にも
「迎えに行く偶然」にも留意して対応することが大切と考えています。

「やってくる偶然」というのは、自然のなりゆきにまかせて図らずもやってくる偶然。
「迎えに行く偶然」というのは、本人が積極的に関与し、どのような偶然になるかは不明であるけども、
なんらかの期待を持って行動をとった結果おこる偶然のことを言う。


どちらも大切であるといっているわけだが、
この二つの偶然に共通することとして、「偶然」に気づかなければ
「偶然」はその人の前を通り過ぎていくということである。
電線をみて何かを気づくこともあるだろうし、
たまたま話をしていた人からヒントを得たりすることもある。


つまりはこの本でいう「察知力」がないと「偶然」は生み出されないということである。
ではこの「察知力」どうすれば身につくのかというと、
僕の考えになりますが、
前述のジーニアスコードでもふれたような注目・観察・表現という繰り返しと、
フィルターもしくはフレームをどれほど自分の中に用意しているかということなのかなと思っている。
フィルターやフレームについてはまた別の機会に書きますが、
まずは注目・観察・表現を意識して取り組んでいきたいと思っています。