人間を編集する

人間を編集するとは聞きなれない表現である。
ISISの006番のお題で「自分を編集する」という問題がでた。
これは自分の自己紹介をいろんな表現でしてみるという問題なのだが、
「私は●●な××である」という言い方をしなければいけないというルールがある。


ここではいろんな属性・機能・要素をつかって自分を表現してもいいし、
メタファーをつかって表現してもよい。
「私は暴れ狂う屠殺場の豚である」とか
「私は3人の子持ちの父親である」とかなんでもいいのだ。


ここで僕は40個程度書いたのだが、
僕がそのときに出したものをここで紹介。
「僕は別れた女からみればジゴロである」
「僕はほれた女に対しては美の下僕である」
というのは、どこかで聞いたような表現かもしれないが
なかなか自分では気に入っている。(韻はふんでいないが)


これを40個も上げてみるとメタファーだろうがなんだろうが、
とおり一遍の自己紹介をされるより、
なんとなくその人の輪郭が見えてくるから楽しい。


先週の金曜日NLPで同期のせんせい(ニックネームがせんせい)が
僕たちの会社に来てくれて、NLPのミニセミナーを開いてくれた。
ここでせんせいが僕たちの固い雰囲気を和らげるのにさせたのが、
他己紹介というやつである。


名のとおり自己紹介ではなく、他の人に自分を紹介してもらい、
自分も他の人を紹介する。
そのときに紹介する人の3つのすごいところを紹介するのだが、
このあたりにセンスというか観察眼とかがでてくる。
まあ、それでもすごいところを紹介してくれるわけだから、
よほどずれていないかぎり、悪い気はしない。


人を表現したり、編集したりということに思いをはせていたら、
不謹慎な考えが頭にうかんだ。
性感帯についてである。
(実はこちらがほんとうは先に浮かんでいたのである)


男性経験はあまりないので、女性についてだけ考えると
性感帯といっても十人十色である。
唇、耳、背中、乳首、乳房、陰核、女性器。
これらは単なる体の要素、部分であるのだが、
その一単語のみでその人を表すものとしてはなかなかではないかと思う。
(もちろん他にも一語で表現する方法はあるだろうが)


性格が明るいとか活発とかエネルギッシュとかいっても、
なんだかぼんやりしている。
しかし性感帯の部分を一語であらわすとそこだけはなにやら明確なイメージをともなってくるのである。
愛情をともなった洞察力でもって自己や人間を編集する。
僕は期待にムネをふくらませた3つの乳首である。