雨の日の話

確か10%だったのだが、
夕方から一刻激しく雨が降った。
10%というのはもちろん確率であって、
常識として理解しているはずなのに、
一日の時間に対する割合であるかのような錯覚を覚えるときがある。


雨というのは日常のことではあってもやはり非日常であるから、
雨が降ると反射として思い出されることがあったりする。


ひとつは歌を歌いたくなる。
♪あめあめふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな
北原白秋の『あめふり』だが、これが歌いたくなるわけではない。
(今調べたら、5番まであるらしい。5番まで覚えると歌いたくなるかもしれない)


同じあめあめふれふれでも
八代亜紀の『雨の慕情』やイルカの『雨の物語』を歌いたくなる。
最近は中島みゆきの『囁く雨』も歌ったりする。
どれも悲しい曲なのだが、歌っている最中は意外と楽しい気分だったりするのが不思議だ。
その楽しさを覚えていて、ついまた歌いたくなってしまうのだろう。


もうひとつはNHK教育でやってたと思われる歩き方講座(多分そんなのだ)を思い出す。
たまたまテレビをつけていたらやっていたもので、
なぜこれをしつこく覚えているのかが不思議なのだが、
覚えているからにはなにかの理由があるのだろう。


それは雨の日の歩き方というものだった。
いやもしかしたら単なる正しい歩き方だったかもしれない。
雨の日に足をまっすぐおろして、正しいというのか、
良いというのか、そういう歩き方、足の運びをしないと、
足が跳ね上げた水しぶきが太ももからふくらはぎにかかってしまいますよということだった。
その番組では良い歩き方の人と悪い歩き方の人を比較して、
悪い歩き方だと、ほらこんなに泥はねしてしまうんですねえ。
って検証するようなことをやっていたと思う。


半ズボンで雨の中を最近歩いた。
後ろ足で跳ね上げた水しぶきが
ちょうどふくらはぎのあたりにぴちゃぴちゃとあたる。
つめたくてしょうがないし、
泥水が僕のなまっちろい太ももにそのあとを残しているさまもイメージできる。
そのたびに「ああ、なってない、なってない」と繰り返した。
雨の日の話。