『文楽の女』袖萩と恋絹、岩手

国立劇場に奥州安達原を見に行った。
あらすじはこちらのブログで詳しく書かれているので参考にしてください。
http://d.hatena.ne.jp/DancingDoll/20080904


実は文楽を見に行ったのはこれが初めてです。
念願が叶いました^^


文楽というと僕の中では、
谷崎潤一郎の『蓼喰う虫』の中で妻の父、義父が浄瑠璃好きで淡路から四国のほうまでつきしたがって浄瑠璃を見に行くという話がある。
そのときのなんとものどかな雰囲気、義父の愛人と義父と3人での奇妙な旅路が印象に残っている。


それからジョン・レノンのテレビドキュメンタリーを高校くらいのときにみたときだろうか。
ジョン・レノン文楽オノ・ヨーコと一緒に見に来て、もちろんジョンは言葉の意味はわからなかったと思うのですが、
ジョンが文楽をみてぽろぽろと涙をこぼしているのを見て、ああこの人はなんと感受性が豊かな人なんだと思ったと誰かがインタビューで語っているのが記憶に残っています。


そんな僕の中のヒーロー二人の文楽体験や描写の印象もあり、以前から大いに興味があったのですが、
とっつきにくいという印象とは裏腹に初心者でも初心者として楽しめるのではないでしょうか。


袖萩は勘当された父のことを案じ、冬の奥州路を盲目の体を引きずりながら父の家の前までやってきますが、とりなすすべもなく会ってもらえません。
見も世もなくなき狂う袖萩、その母を心配し娘のお君は自らの肌着をかけてやるのですが、このシーンでは感極まってしまいました。


奥州安達原には傾城の恋絹、その恋絹を娘と知らずお家復興のため殺し腹をかっさばき胎児を取り出す鬼女・岩手などさまざまな印象的な女が登場します。
どの役もそれぞれに物語があり、その軽重に極端な偏りがなく壮大なドラマとして楽しめますね。


文楽を楽しむもなにもはじめて見ただけで、
松岡正剛の書評のようにはもちろん楽しんでいませんがhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0826.html
12月にも見に行きたいと思っています。


文楽の女』での吉田蓑助の言葉が印象的だったので引用させてください。

尊敬する竹本越路大夫兄さんが引退されるときに、「義太夫の修行は一生では足りなかった、もう一生ほしかった」と言って舞台を去られた、そのお言葉が私の胸に突き刺さっております。「還暦」には昔から「赤いもの」を身に着けるという習慣が日本にはあります。私としては「赤いもの」を着るということは「赤ちゃん」にかえるという意味に受け取り、越路兄さんにならって原点に戻って修行をつづけていきたいという思いです。