『小林秀雄講演』より “個性”の克服

昨日http://d.hatena.ne.jp/kenjuman/20080905の続きでもう少し書きたくなった。
いろいろな“個性”がある。それは小林が言う意味での“個性”だ。
各人に様々な生まれがあり半生があり状況があるだろう。
才能や環境に恵まれた人間もいるだろうし、
大変な状況になり困窮している人間もいるだろう。


しかし、こんなもんは突破しなければいけない。
克服しなければいけないと小林は言っているわけである。
これはもちろん芸術表現に限ることではなく、
すべての人にとって突破し克服するべきものなのだと思う。


僕はかつて原一男監督が主宰するOSAKA「CINEMA塾」にいたのだが、そこでもまた原監督が講師をしていた日本映画学校でもセルフという自分自身を主人公にするタイプのドキュメンタリー映画の企画が多く提出され、いくつかは作品として評判を呼び上映されたものもあった。
これはその主人公にとって自分の“個性”を突破し克服するためにどうしても通らなければならないものだったのだろうと思う。
その後、主人公たちはそれによって“個性”を突破し克服することができただろうか。
それとも“個性”を現し認められることをいまも求めてるのだろうか。
ユーロスペース支配人の堀越謙三さんが講師としてこられたときの「君たち、そろそろ自分探しはやめたらどうだね」という言葉が今も記憶に残っている。


この“個性”の克服ということで言えば、思い当たるのがコアトランスフォーメーションhttp://d.hatena.ne.jp/kenjuman/20080818だ。
この“個性”が自分の体や感情に起こす変化。
その部分をパートと呼ぶ。
どんなネガティブなパートにも根源的には自分自身に対してプラスになるように思ってくれている目的がある。
“個性”の突破、克服というニュアンスとは違うかもしれないが、その“個性”を扱うという側面から見ればどちらもそこに気づくことから始まるということでは同じだろう。


この“個性”を突破、克服する、“個性”に気づいてそれの根源的な目的を探ってやる、そうすることでやっと自分自身が出てくる、やっと自分自身の人生を生きることができるようになる。
僕の中ではそう認識した。