『敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』生きろ!そ

kenjuman2008-09-04

バルビー is ゴルビー
いきなり駄洒落ですが、
ボリビアにわたったナチスの残党クラウス・バルビーは肥え太り、ゴルバチョフ書記長のような風貌になっていた。

ナチスの男は、なぜ裁かれることなく、長年自由の身でいられたのか。その謎から戦後史の裏側を暴く、衝撃のドキュメンタリー!

クラウス・バルビー―――先天の怪物か、戦時の産物か!
彼は、1935年に22歳でナチス・ドイツ親衛隊に所属してから、1987年にフランスでの裁判で“終身刑”を宣告されるまでの50数年の間に“3つの人生”を生きた。それもとびきり残虐で欺瞞に満ちた人生を。
第1の人生は、ドイツ占領下のフランスで、レジスタンス活動家やユダヤ人を迫害、<リヨンの虐殺者(Butcher of Lyon)>の異名を持つ、ゲシュタポとして。
第2の人生は、戦後のヨーロッパでアメリカ陸軍情報部のためにスパイ活動をしていたエージェント・バルビーとして。
第3の人生は、南米ボリビアにおいて、軍事政権を支援、チェ・ゲバラの暗殺計画をも立案したクラウス・アルトマンとして―――。http://www.cinemabox.com/schedule/ginza/index.shtml銀座テアトルシネマHPより

バルビーはボリビアに左派政権が誕生したことにより身柄を拘束され、フランスで裁判を受け終身刑判決を受ける。


ここで描かれるものは元ナチス党員の残忍さではなく、帝国主義の本質である。
利用する価値があるものはどんなものでも利用をするが、利用価値がなくなったものは捨てられるということ。
この現代にいまだに集団的なものの考え方であるイデオロギーは生きている。それが左翼だろうが右翼だろうが結局いきつくところ帝国主義であると思う。
いま個人として考えることの重要さが改めて問われているのではないだろうか。


それとは別にこの映画で感じたのは不謹慎に思われるかもしれないがバルビーの生きるという逞しさである。
裁判のときにバルビーは
「私は敵ながら敬意を表するレジスタンス運動と非妥協的に戦いました。しかしながら、当時は戦中であり、もはや戦争は終わったのです。」と発言をした。
被害者とは何?加害者とは何?そんな文脈で扱われているコメントは多く見受けられ、確かにそのとおりだと思うのだが、僕はこの発言にバルビーのそれでも生きようとする彼のの生命力を感じた。

大戦の敗北後、何度もつかまりながらその都度彼は脱走し、CICの諜報として働き、ボリビアの軍事政権の擁立に暗躍、それとは裏腹に彼は家庭ではよき父親でよき家族としてよき隣人として生活をしていた。
戦中戦後を見事すぎるほどに生き抜いた彼の裁判での発言。ここには被害者も加害者もいないのですという主旨の発言は、この拘束の身でなせる彼の最良の戦略だったのだと思う。