吉村堅樹:とるにたらない僕だけの変化
恥をしのんで書く。
まっこと馬鹿げたこととわかっているのだが、
とるにたらない児戯じみた話だとわかっているのだが、
本人にとってはそうでもないのでここに記録を残そうと思う。
昨日また母親と喧嘩をした。
実は昨日まで母親と三日間旅行に行っていたのだ。
山中湖から伊豆のほうへの旅行だった。
その帰りに母親とちょっとした言い争いになった。
それは僕が子供のころから母に言われて、残っていた言葉を母がなんとなく口に出し、
38にもなる僕がそれに過敏に反応をしたわけだ。
「世の中は金がすべてや。金さえあったら何でも買える。愛でもお金で買える時代やで。」
いまどき小学生でも言わないような言葉である。
それを66歳の母親がいうわけだ。
今まではそれを母が言うことは何度かあったのだが、
お互い感情的な話し方になり物別れになっていた。
昨日もお互い揚げ足を取り、言葉尻を捕まえては非難するという、
小学校4年生レベルの口げんかに陥りかけていた。
(言い争いというのは不思議で、感情的になってしまうと、低いレベルのほうにあわせたモードになってしまう。)
でも昨日は途中で母の言っていることが、
経験に基づいた発言ではないということ、
断定的にいっているが根拠がないことに気づいた。
というかなんでいままで気づいてないの?って話なのだが。
お金がすべてなのかどうなのか。それだけの大金を稼いだ経験も、手に入れた経験もない母には実際に何でも買えて、愛でも買えるのかはわからない。
もちろん、何でも買えるわけではないのも、愛も買えない人もいるのは当たり前の話である。
そんな時代だとか、すべてだとか断定しているが、
そんな時代なように感じてるのは母がみているワイドショーの影響でしかなく、
断定するにはあまりに根拠があやしい。
こんなふうに改めてあげつらうまでもないのだが、
母に対して論理的にできるだけ話をするために、
敢えておかしな点を指摘した。
母はそれでも感情論を展開しようとしていたが、
自分のいっていることがおかしいことを
ついには納得してくれたようだった。
そのあと母は興奮がおさまらなかったのだろう。
母は、保険のかけていなかったレンタカーをバックでガードレールにあて、
バンパーとバックライトをつぶし、
翌日の朝までタイムパーキングにいれるはずが、
月極駐車場にいれてしまい、
僕が今日レンタカー屋に返そうと駐車場にいったら、
駐車場の借主に車で出られないように封鎖されていた。
どうやら高い授業料になりそうである。
それでも僕にとっての母との関係の第一歩として
記憶される一日になった。
母は事故の記憶とともに、
自分が言った言葉を決して忘れないだろう。
吉村堅樹: