吉村堅樹:『進化しすぎた脳』進化をやめた人間

http://d.hatena.ne.jp/yoyochan/20080902
この本の目的としては、もっと脳を十分に使い倒すにはどうすりゃいいのだ?というような思いでページをめくっていた。
しかし、そんなこと以上にこの本を読むことが脳を使うことになるのだという、目的がその本を読むことになっているという幸運にめぐりあえたように思う。

第1章 人間は脳の力を使いこなせていない
第2章 人間は脳の解釈から逃れられない
第3章 人間はあいまいな記憶しかもてない
第4章 人間は進化のプロセスを進化させる
第5章 僕たちはなぜ脳科学を研究するのか

リモコンネズミ
ここでは刺激的な脳や意識、クオリアに関する仮説なり、実験なりが語られている。
ネズミの脳ではもう脳のどの部分を刺激すれば気持ちよく感じるという部分がすでにわかっている。
その部分は"報酬系"というのだが、
あるレバーを押せばネズミの"報酬系"に電流が流れる仕組みをつくっておけば、ネズミはレバーを押し続けるらしい。
ネズミをリモコンであやつることができるという話。
これって、人間の脳でも同じことができるのだろうからそれを考えると面白恐ろしくもある。
自分が続けたい行動を行ったときに、
"報酬系"に電流が流れる、そんな仕組みを自分で意図して作ろうとすることは、
その理屈がわかっていれば意識付けすることはできるだろう。


意識の定義
意識付けといえば、"意識"を定義することも行っている。
"意識"とは、「判断できること」言い換えれば「行動を選択できること」だと。
「飛んで火に入る夏の虫」という言葉があるが、
これは単に反射であって"意識"ではない。
選択の幅があって、判断して行動を選択するということが"意識"である。
じゃあ“感情”は"意識"か?
感情は自分の判断で変えられないので意識ではないということになる。
同じように最近よく聞く“クオリア”、これは生々しい感覚、質感という意味だが、
これも表現を選択できないものとなる。


ソドムの市ネコバージョン
扁桃体という脳の部分がある。
ここを失うと恐怖の感情がなくなるらしい。
扁桃体をなくすと恐怖心がなくなり、本能がむき出しになる。
犬猿の仲」などというが、扁桃体をなくした犬と猿を同じ場所にいれると交尾をはじめるらしい。
さらに扁桃体を壊した4匹のネコを同じ檻に入れておくと目も当てられない状態になったらしい。
オスもメスも関係ない、すごい状態だったとか。
翻って人間ではそんな乱交の話やおぞましい殺人事件があったりする。
こういう場合の人間の脳ではどんなことが起こっているのだろうか。
僕にもどうしようもなくネガティブな感情が生じるときがある。
そんなとき体感的なものとして感じるのだが、
人間の脳でも特別な化学物質が生じているような気がしてならない。


魚はなぜ群れる?
魚には癖があるという。
1.なるべく群れから離れないようにする癖
2.ある一定以上近づくと離れようとする癖
3.隣の魚と同じように泳ごうとする癖
この癖があると見事に群れになってぶつからないようになぜか一直線でもなく、動いていくということがコンピューター上のシュミレーションでも証明されている。
魚の群れに石をなげこんでも、一瞬散るがまた元にもどって群れる。
これはものごとをバラバラに見ていても何もわからない。
集団になったら思いもかけない行動があらわれる。
複雑系”の例として示されている。


悲しいから泣いてるんじゃない。
ジェームス・ランゲが言った「悲しいから涙が出るんじゃない。涙が出るから悲しいんだ。」という言葉。
これを見てアランの幸福論の「幸せだから笑っているんじゃない。笑っているから幸せなんだ。」という言葉を思い出した。
<悲しい>というのはクオリア、これは脳の副産物に過ぎない。
悲しみを感じさせる神経細胞があって、そこを刺激すると、「涙が出る」という情報が送られる。
それとは別に大脳皮質にある<悲しい>と感じさせる部位に情報がいく。


頭に残った記述をあげてみたが、まさに刺激的な情報が満載だ。
こんな記述もあった。
「動物は環境が変化したら、それに体をあわせてきたが、
人類は遺伝子的な進化を止めて、環境を進化させている。」
人間は進化をやめたが、その進化をやめた人間の研究はまだまだ先の見えない世界なのだろう。
吉村堅樹: