『優しい時間』はやさしいのか?

倉本聰ファンとしては、気にはなっていた。
評価としても悪いものばかりではなかったので思い立ち『優しい時間』を見た。
最後の『北の国から』のスペシャルをみたときも、漠然と面白くないという思いが残り、
そのあとにあいついで放送された倉本聰のドラマは見ていなかった。
しかし、これは食わず嫌いなのかもしれない、
もしこれですごく面白かったのならばもったいないことをしている可能性もある。
まずは最初だけでも見てみよう。
やはり面白くなかった。。


なぜ面白くなかったのだろう。
北の国から』のスペシャルをみたときに漠然と面白くないという気持ちだけで
そのままやりすごしてしまったというなんとも無駄な経験をしてしまったので今回は整理してみようと思う。


1.場面
富良野三部作の2作目ということなのだが、これが富良野である必要性があまりないように思う。
別に倉本聰富良野に住んでいるんだから、富良野でもいいじゃないかといえばそれまでなのだが、
視聴者が期待している富良野ではない。
それはそれでいい意味で裏切っていればいいのだが、
単純に富良野に住んでるんだからそのまま富良野でいいじゃないのというような重さしか感じなかった。


2.現実性
毎回亡くなった妻の大竹しのぶが閉店後のカフェのカウンターに出没し、
マスター主人の寺尾聡と昔話や子供の話、悩み事なんかを話す。
これが実に長いということと、
話が満足がいくくらい話が進んでいるので、
彼の寂しさというものが逆に薄まっているのではないかと思う。


3.主人公
主人公は父・寺尾聡とかつて暴走族で同乗していた母を死なせてしまった二宮和也
主人公たちの演技は問題ないものだと思うのだが、
父の態度の一貫性のなさが気になる。
彼は何にこだわっているのか、またこだわっていることに悩んでいるかもはっきりとしない。
一貫性のなさが一貫性がないことを意識して描かれていないように思う。
また息子は母を死なせてしまったことの葛藤があるはずだが、
母を死なせてしまったことにに対する罪の意識はこんなものなのだろうか。
富良野の景色が癒してくれるほどのものなのだろうか。


倉本聰のドラマはNHKで放送された『玩具の神様』が素晴らしいできだったように思う。
それ以来、倉本聰のドラマでは心を動かされていない。
今年の秋には富良野三部作の三作目が放送されるみたいだ。
主役は『玩具の神様』の中井貴一
今度こそはの思いである。