観察するということ

見るという行為は僕らに何を与えてくれるだろうか?

インナーゲーム
インナーゲームではコーチに言葉で教わるのではなく、観察をし、イメージを頭に残すことの重要性が説かれている。
言葉での記憶をセルフ1、イメージでの記憶をセルフ2。
セルフ2を信用することが重要なのだが、このセルフ2は多くは無意識などということばを使って語られている。
しかし、セルフ2を有効につかうには観察が重要なのだ。

IDEO
『発想する会社!』では、IDEOイノベーションを起こす方法論として、最初に観察ということが出てくる。
ターゲットとなる顧客がそのプロダクトを使っているときの一挙手一投足を観察するのだ。
また、新しい体験を自分がもったときに生じる疑問も観察の対象といえる。
顧客にヒアリングするだけでは十分ではないともいっている。
つまり顧客は自分では気づいていないこともあるし、遠慮をして教えてくれない場合もあるのだ。

NLPの葛藤の統合
NLPセミナーで葛藤の統合というワークを行った。
ワークのあとに、どんなワークであったか、どんな気づきがあったのかをシェアするという機会があるのだが、
「自分は話しすぎるので聞かなきゃ」というパート、「いやでも話したい」というパート。
これを取り出したら、“耳”と“口”という形がでてきた。
それを真ん中で統合したところ“目”がでてきた。
これはつまり「もっとよく見なさい。そうすれば聞くべきところと話すべきところがわかるということなのではないか」
ということをシェアしてくれたノジャさんというかたがいた。(ここはあえてニックネームを披露)

“観察する”ということは、いまさら特に言われることではないし、よく聞くことではあるのだが、
あらためて考えてみると“観察する”ということがいかにできていないかがわかる。

この“観察する”、僕は精神的にもいい行為だと感じている。
“観察する”ことができていれば、余計な雑念は封じることができるのだ。
“観察する”と相手のことがわかる。相手のことを考えることができる。
まとめて読んだ書籍とセミナーで“観察する”について思いを馳せることができたのも、
偶然ではなく僕の精神の必然なのだろう