『Catch me if you can』Catchするのは何?Catchされたいのは誰?

kenjuman2008-08-02

「つかまえられるものならつかまえてみな」
スピルバーグ監督、ディカプリオ主演のこの映画、直訳するとこんな意味になる。
題名に入っている"Catch"という言葉で思い出したのが、我ながら単純なのだがサリンジャーの『The Catcher in the Rye』(ライ麦畑でつかまえて)。
Catchという単語がもつ響きに、ざわっとした共通感覚を感じつつ、映画を見る前にはそんな予感は自ら打ち消していた。


どうやら詐欺師が追われる映画らしいということは前情報として知っていた。
これをNLP(ニューロ・ロジカル・プログラミング)のめがねを通してみたらどういうことですか?ということでNLPのめがねを通してこの映画をみたときの気づき、できれば単に手法ということからもう少し踏み込んだところまでレポートできればと思う。

モデリング
映画を見て、最初に気づくNLPワークはモデリングだろう。主人公フランクは天才詐欺師、彼が自分の職業を偽り、それを相手に信じ込ませることに成功できたのは徹底したモデリングにある。
その職業に関するテレビ番組を見る、成りきる職業の人間もしくはそのまわりにいる人間にインタビューをすることでモデリングするための情報を得、制服などの外見、使う言葉、さらには証明書も偽造することで徹底的にモデリングをしていく。
パイロットになった」「医者になった」「法律家になった」ことあるごとに父親にも手紙を出す。
そのとき、フランクは自分自身がモデリングした職業であることに疑念を挟むことはほぼなかっただろう。自分自身を信じ込ませられるほど徹底していたわけだ。クリスマスにハンラティに電話するとき以外は。

ラポール
モデリングと同時にフランクが意識していたのが、相手とのラポールを築くということだ。
偽造手形を使うときに彼は女性を意識してほめ(聴覚)、ネックレスをプレゼントし(視覚)彼への好意をもたせることで、チェックが甘くなるようにしている。
ブレンダとの出会いのシーンで特に印象的だったのが、彼女が歯を矯正していることに気づき、自分もかつて矯正していただんだということで共通点があることを伝え、彼女がコンプレッスにしていることを褒める、認めることで彼女のニューロ・ロジカル・レベルの上位概念を満たしているのだと思う。

自己成長モデル
VAK(視覚・聴覚・身体感覚)このすべてがフランクは優れていた。それはハンラティが指輪をしていることを気づくことに始まり、FBIで働くことになってからも偽造小切手を判別するときに優れた彼のVAKがいかんなく発揮される。
臭いをかぎ、インクの色をみわけ、紙質の触感を感じることで巧妙に隠された偽造の証拠を見つけるのだ。

ニューロ・ロジカル・レベル
映画レビューを見ると、父親の脱税による倒産、親の離婚ということによるフランクの孤独という視点で見ているレビューを多く見つけた。
フランクが使ったNLPの手法という観点でレポートしてきたが、逆にフランクはニューロ・ロジカル・レベルの一番上が満たされることを求めていたのではないだろうか。
プロフィール欄を見ると私の尊敬する人お父さんとかお母さんと書いている人多い。
やっかみもあって僕なんかそれを見てケッと思ってしまうのだが、自己重要度ニューロロジカルレベルでいうと、親はピラミッドの一番上を満たしてくれる存在なのだから当たり前といえば当たり前か。じゃあ、そういう両親がいなかった僕はどうすればいいの?この欠落感は。
そんな欠落感にもなんか意味があるんだろうってことで、コアトランスフォーメーションのセミナーに答えを探しにいくかと思って、まんまと申し込んでしまった。いや僕の話じゃなかった。

フランクの話に戻ると、彼が最初にモデリングしたのは父親だ。彼が使うネックレスのプレゼントは父親のアイデアであるし、2匹のねずみがクリームに落ちあきらめなかったねずみがもがいているとバターになった話もしている。また彼が詐欺をすることでお金をかせぐことにためらわなかったのも父親の影響があったからであろう。無意識化でモデリングをしていたともいえるのかもしれない。
フランクは父親と出て行った母親をとりもどそうと必死にお金を稼ぐ。
しかし父親からは自分がしてきたことを否定され、母親はすでに新しい家庭を築いていた。
そんな彼の根源的な自己重要度を満たす存在がブレンダであり、ハンラティであるのだろう。
だからブレンダには本名も打ち明けたしついてきてほしいといったわけで、ハンラティには自分のことを常に気にかけてくれる存在としての意識があり、居場所が割れる危険を犯してまでもクリスマスに電話をかけたわけだ。

『Catch me if you can』この映画の中で"Catch"したかったのはフランクが習得しようとしたモデルだったのだろうか。だます相手の共感・信頼感だったのだろうか。それとも彼の五感をつかって獲得した認識・気づきだったのだろうか。
彼は見事にそれらを"Catch"した。
だが、彼はそれを"Catch"することが目的だったのではない。
彼は"Catch"されたかったのだ。自分自身の存在を。父親に。
父親が死んだのであれば母親に。
何の条件もなく、詐欺師の自分を、家出した息子を認めてほしかった。
映画の題の隠された意味は、
「つかまえられるものならつかまえてみな」ではなく、
「僕をつかまえて」ということなのではないか。
つかまった後、ずっとハンラティの元で働き続けたフランクがそれを証明しているように思う。