大相撲演歌論

昨日は後輩の高柳と一緒に会社でスポーツ談義になった。
フィリピンのマニー・パッキャオはアジア初の4階級制覇ですごいですよねーなんて話から格闘技談義になった。僕がテレビを見なくなったこともあるのだがどうも格闘技がつまらなくなったという気がする。

僕はファンクスや猪木がホーガンにアックスボンバーで失神させられるよりも前からのプロレスファンでもあるのだが、K-1やハッスルなんかは見てもバックグラウンドのストーリーを感じないのか、人間的魅力を感じないのかどうも感情移入できないのだ。

同じように大相撲は昭和52年から大相撲力士名鑑を買っていたくらいの大相撲ファンで、麒麟児が新弟子検査で身長でひっかかったのでビール瓶で頭をたたいてもらって検査に合格したとか、輪島がビール瓶のふたを左手で開けられるとかそんなどうでもいいエピソードまで覚えている。

それがどうも相撲は変わったなという感じが随分前からしていて相撲をあまり見なくなった。それはもちろん外国人力士が土俵を席捲しているということもあるのだろうが、それよりももうちょっと前、そう若貴時代から相撲はもう変っていたのじゃないかと思う。

時代の趨勢そういってしまえばそうなのだが、相撲はかつて演歌であった。青森か、北海道、東北などの寒いところから夢をもって上京してくる体が大きな少年たち。早いものは中学を卒業すると上京し序の口から少しずつ昇進をして関取を目指す。
僕が大好きだった外掛けが得意な若三杉も青森出身だった。かつては優勝しそうになったらその力士の地元の親のところとかにテレビがいってたような気もする。

千代の富士隆の里までは演歌だったのだが、若貴はどうもニューミュージックという感じがするのだ。
日本の高度成長が終わり、演歌がレコード大賞を取らなくなって、紅白歌合戦の視聴率が落ちるのと一緒に相撲は演歌ではなくなった。

もう過ぎ去ったときは帰ってこない。僕はスポーツをあんなに熱中してみることはもうないと思う。

これは大相撲錦絵のホームページ。いいなあ
http://www15.ocn.ne.jp/~daimon-e/index.html