「プロカウンセラーの聞く技術」と「夜回り先生 」



「プロカウンセラーの聞く技術」を聞いた。“聞いた”というのはオーディオブックで聞いたのだが、聞く前に想像していた以上に響いた。心に。

「聞く技術」というのを文面どおり「技術」というスキルとして想像していたのだが、そこに書かれていたのは「聞く」ということの本質であり、僕自身に欠けていて、弱っている僕が相手に対して求めているものでもあった。

「雄弁は銀、沈黙は金」とはよく言ったものだ。僕はこの言葉の本当の意味をこの年まで真には理解していなかった。

相手の話を「聞く」のに、質問をする必要はないし、ましてや“でも”、“しかし”などの逆接を使う必要はない。ただ、「そうだね」と聞けばいい。
どうして質問をしたり、逆接を使う必要があるの?それはすでに相手の話を「聞く」のではなく、「話す」側になってしまっている。もう「聞く」立場を放棄しているのだ。

僕は「夜回り先生」が好きでテレビのドキュメンタリーを見たり、漫画を読むたびに泣いてしまうのだが、「プロカウンセラーの聞く技術」を聞いて、この「聞く技術」というのは「夜回り先生」がやっていることじゃないかと気づいた。「夜回り先生」は親にも先生にも話を聞いてもらえない子供たちの心の叫びを無条件に受け止めて「聞いて」いる。
そこにもっとこうしたほうがいいんじゃないの?とか、君は間違えているとかそういう言葉はない。

「プロカウンセラーの聞く技術」は、「聞く」という行為にある本当の意味を気づかせてくれる一冊だと思う。