性淘汰はされたくない

志の輔さんが、山田五十鈴さんから聞いたという話が素敵だった。

自分が楽な姿勢は、人から見るとだらしない。自分がキツイ姿勢が美しい。だから、山田さんは、舞台の上で苦しい姿勢を凛と保っていたのだという。

進化心理学に「ハンディキャップ理論」がある。クジャクのオスの羽根のように、生きる上での機能を持たず、外敵に襲われた時などは邪魔になる特徴が進化してきたのは、性淘汰においてメスがそれを好むからである。

他の個体よりも多くのハンディキャップを負っても生きていくことができるという事実が、活性と良き資質の証拠となる。
「やせ我慢」がダンディズムにつながる所以であろう。

茂木健一郎 クオリア日記より>

似たようなことを高峰秀子の潔さというところでも書いたような気がする。

自分自身が楽なようにすることは、自分を美しくなくさせることである。あえて、大変なことを、あえてリスクをおってみようじゃないか。自戒をこめて記す。

ちょっと、上の話の流れとはずれるが、オスカー・ワイルド(『サロメ』や『幸福な王子』の作者)は町を歩くときにズボンの後ろのポケットに花束をさして歩いたらしい。
これはこれで周囲の冷ややかな目に晒されながらの孤独なダンディズムだと思う。かつてその話を聞いたとき素敵だと思った。