終わらない歌

 優位に立つものは、自らの存在根拠を問い直す必要がない。それに対して、劣等感を抱く者は、自分が何ものなのか、魂の探究をしなければならない。支配者の考えることは、案外散文的でつまらない。人生の挫折を知らない学歴エリートは往々にして退屈である。劣等感こそが、この世で生きるということの実感を与えてくれる。劣等感が、人間の魂を育てるのである。
(茂木健一郎クオリア日記より)

僕の今までの人生は常に劣等感との戦いだった。
でね、この劣等感というのはどうしても感じてしまう。
幼稚園のときは名前が女みたいで、顔も女みたいだと言われて劣等感。
小学校のときは母親に塾に行ってることを秘密にするように言われてウソツキであることに劣等感。
それでまた、みんなと少し溝ができて馴染めないという劣等感。
でも塾では今度は落ちこぼれてきて劣等感。
中学高校では男子校で女子がいない青春をすごし取り返しのつかない劣等感。
親父がコンドームの訪問販売とか始めて親の職業をいえない劣等感。
借金まみれで夜逃げを繰り返して、住所を頻繁に変更する劣等感。
大学にはってもまったくもてないし、二十歳を過ぎても童貞で劣等感。
お寺の奥さんとつきあって、どんどん友達もいなくなるということで生まれる劣等感
映画をするために大学をやめてまでも入った大阪芸大を中退してしまい、夢も終わりだという絶望的な劣等感。
大言壮語を吐いていたCINEMA塾で撮った映画が上映もされずに劣等感。
東京に上京したものの仕事が見つからない。やくざの組にはいるやつの気持ちがわかる。

そして今もやっぱり劣等感に苛まれている。
劣等感を無理やり優越感に転換したり、劣等感を露悪的に語ることによって自分という人間の尻を叩いてきた。

そう考えるとね、劣等感がやっぱり僕を育ててくれたのかなと思う。そして今も僕を動かしているのかなと思う。
どうしようもなく自分が醜く、愚かで、片輪で、不具だと思っているならば、
そしてそれ以上に、自分は美しく、賢く、崇高に、純粋になりたいと思っているならば
きっと何度でも立ち上がれるのだと思う。終わらない歌。