「悪」についての考察

「悪」とは何だろうかと考えたときに、この抽象的な言葉の定義というのは人によって異なると思う。
「悪」を悪いこと、許せないこと、怒りを感じるべきこと、なくすことという意味に限定した場合、何をもって「悪」と言えるだろうか?

「悪」らしい、「悪」なんていうものは誰にでもわかることであり、こう言ってしまえば語弊があるが、すぐにわかるだけかわいらしい。例えば殺人なんてのは人の命をなくすという意味で重大な犯罪ではあるが、「こいつは悪いやつだ!」と断罪される機会がすぐに訪れるだけ救いがあるのだ。

悪に見えない「悪」。巧妙に隠蔽された「悪」。無知であり、無関心であるという「悪」。
こういった類の「悪」は知らない間に人間の精神や心理や肉体や脳を蝕む。
そしてそれを行っている当事者も「悪」だという認識はないし、それを受け取る側も「悪」という認識がない。だからいつまでも断罪されないし、それを受け取る側も知らず知らずにそれをしている。

何なのか?それは。
その「悪」とは「考えない」ということ。
自分がやっていることは、本当につきつめればどういう意味があるのか、例えば社会的に良いとされていることがあるとして、それに反していればそれは「悪」なのか、自分がやっていることが「悪」だとしてそれは「悪」だという認識があって行っているのか。

社会からはみ出したものであったり、社会的に違法であることであったり、実質的に害を及ぼすことを悪いことではないと正当化したいわけじゃない。それはそれで「悪」である場合ももちろんあると思う。

でも、そういうように「悪」と断罪されないようにということだけを考えて、その本質的な「悪」を見ないようにして、僕は全く「悪」じゃないよって、したり顔で振舞っている人を僕は好きになれない。

そういうものと闘うってことが僕を衝き動かしていると思う。