信じてくれと言いたくなる


http://www.1101.com/darling_column/index.html
ある程度の本を読んできた人たちは、会話のなかで、「信じられない」とか、「ありえない」とか言う回数が少ないと思う。
(中略)
そういうことを、小説のなかで知っている人は、そう簡単に「信じられなーい」とは、言えないだろう。

「信じられない」とか、「ありえない」とか「超」とかそういう表現を使うということ自体が、数年前までは文字通り「信じられない」ことであった。でも東京に出てきてからは、影響されやすい僕としては自然とそういう言葉を使うようになっていたと思う。

人は怠惰な方向に楽な方向に流れていく、それは言葉にも当てはまることで、意識をして言葉を使わないと楽な言葉を使うようになってしまう。

所謂、身も蓋もないという言葉、例えば、「信じられない」「ありえない」「嫌い」「つまらない」とかそういう言葉は微妙なニュアンス、機微というものを表現はできないし、そこにはどれくらい「信じられない」、どれほど「ありえない」かという説明はない。

そういう言葉を使ってしまうと、相手は次の言葉が出てこない。そこで話は終わってしまう。相手も同じように「信じられなーい」とかいって、ノリを楽しんで終わりだ。

僕はそういうふくらみがない言葉、自分の底の浅さを露呈してしまうような言葉を使うのを戒めるべきなのではないかと思う。そういう言葉を使っている自分をはたと冷静に見つめるようなことがないとついつい流されてしまう。

そんな言葉は意図しなくても、コミュニケーションを拒絶しているもののようにも受け取れる。どれくらい「信じられない」ことなのかを伝えようとはしてくれていないのだから。

そのようなノリでだけで会話できる、いやノリでしか会話できない相手としかコミュニケーションをとらないのは勿体無いし、つまらない。もっと自分を磨いてもいいと思う。