嘆きの壁と右翼老人

土曜日の夜に新井五さ路のとこにあるすし隆にいってきた。
ここは西武線の近くでは突き抜けた美味しさです。壱寿司は庶民的で良心的なお店ですが、ここの技術は壱寿司とは比較にならないくらい優れたものです。マギー審司をちょっとさわやかにしたような大将が握ってくれます。

そのお店でちょうどいい具合に酔いが回ってきたときに入ってきたのが顔を真っ赤にした小太りの老人。
新宿あたりから店をはしごして、自宅近くのこの店にやってきたらしい。
この人が僕の横に座ってしばらくはおとなしく飲んでいたのですが、そのうちトントンと僕の肩を叩き、冷酒のおちょこに熱燗を勧めてきた。そこはありがたくいただくとここから彼の愚痴やらなんやら独演が始まったわけです。
先祖代々新井に住んでいる基礎医学をされている大学教授らしくて戦争で新井が焼けたときの様子やら、最近大学ではお荷物扱いされているらしい話などを語っていました。
新井が焼けたときは薬師のところで人が不動明王のように焼けていたそうです。人が焼けるときは仁王立ちをして手を大きく空に向けて広げて焼けると言ってました。
その後はほんとにこの人教授なのって感じでお前らみたいな若いものが寿司なんか食ってとか、大日本帝国軍人がとかいって管を巻いていましたが、僕は基本的に老人は尊敬していますし、年配の人と飲むのは楽しいものです。
最後にはこの老人を自宅まで送り届けて、さらに老人の家まであがりこんで老人の奥様にお茶漬けでもご馳走に菜って帰ろうかとも思ったのですが、家まで送らなくても大丈夫だからといって断られたので残念でした。

そしてその後、あと一ヶ月弱でなくなる現O君宅を訪問しました。僕はぼろぼろのアパートを想像していたのですが、社員寮みたいなところでした。
ここで彼女と一緒に住んでいたのかとか、つい先ほど彼女がお父さんと一緒に荷物を取りに来ていたのかと思いをめぐらせていました。
洗濯機はすでに持ち出されていて、その横にO君の脚をブロークンした嘆きの壁があったわけです。これも僕が想像していたのは玄関といってたから靴箱の横の広めの壁をイメージしていたのですが、洗濯機の横の壁というか柱くらいのスペースの場所。言葉から想像するものは実際見てみたら全然違うのだなと感じました。

まあ、なんてことない一日の記録です