『人はなぜ話すのか』なぜ僕は話すのか?
『人はなぜ話すのか』(副題:知能と記憶のメカニズム)ロジャー・C・シャンク著。
人はなぜ話すのだろう?
シャンクは3つのゴールを設定している。
1)自分がゴール
2)相手がゴール
3)会話がゴール
いくつもの会話を交わしてきて、どれだけこのゴールは意識されてきただろうか?
ゴールが無意識のかなたに押しやられ、
気づいたらなぜ話していたのかもわからない。
残ったものは興奮して上気したほほの熱さと、
費やした時間の長さに反比例した虚無感。
そんなことはないだろうか?
『人はなぜ話すのか』はそんなどう話すかということが書かれている内容ではなく、
会話、知性、記憶を分類し、型をつくるといったものだ。
だが、そこで書かれている型を意識することで、
現実を有意義にする手助けにはなるだろう。
特筆すべきは「理解」についての事柄かもしれない。
「理解が進むための話」とは、
結局次の3つの進行によって表示されているのではないかと考える。1)インデックスを照合して話を検索している
2)古い話の空隙の箇所に新たな話の要素をあてはめている
3)あいまいな理解を深めるために裏付けを求めているここでは、シャンクが「理解」の本質が
「理解しようとしている局面をより持続的な記憶に統合すること」
とみなしていることがよくわかる。
【松岡正剛 千夜千冊よりhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0535.html】
これを見ても「理解」を深めるためには、
元となるピースが必要なことがわかる。
真っ白のジグソーパズルは埋まらないのである。
もうひとつの主題、
「記憶」が強化され、話を聞いてもらうには
そのひとつの要素として面白さがあるのだが、
面白さを更に分類すると、
・経験に裏打ちされたもの
・聞いたことがない奇抜なもの
・肯定的な反応が期待できるもの
・聞き手にとって自己を再定義できるもの
となっていた。
さらにその面白さを裏打ちする知性については、
いかに多くのラベル、タグ、検索できる言葉をもっているかということと受け取った。
どうも実利的な読み方をしたようである。
ここに書かれていることは、
ロジャー・シャンクが「話」というものに焦点をあてて
知識や理解の秘密にとりくんでいったことのなかには、
いまなお参考にすべきものがいろいろひそんでいた。
【松岡正剛 千夜千冊より】
ただ、いまはこの実利でよしとしよう。
今日、会社をやめたいといってきたものとひとり、
友人を取引先として紹介した後、その友人とトラブルがあったことに
我関せずの姿勢をしていたものとひとり。
今日話をした。
そのときに僕はこの本を読んでいたので
話をする前にほんとうの彼らとのゴールをはっきりと思い描いていた。
いまはこれでよしであった。