『勝間和代の日本を変えよう』器を変えて衣を変えて、あとはなんだ?

何を変えれば、日本は変わるのか?
それに対する勝間さんの解が『勝間和代の日本を変えよう』。

なぜ若者たちは暗いのか。(中略)
いわば「器」、あるいはシステムの問題だといえます。
人の問題というより、日本というシステムの制度疲労の問題です。これまでの、少なくとも戦後の長いあいだ、あまりにうまくいっていたために、日本人が脱ぎ捨てることのできない、古い日本という「衣」です。

日本の制度や組織という「器」を変え、若者たちを中心にした新しい「衣」づくりをすることが日本を変えることにつながると提言がされています。


その変わった「器」は、人を変えていくような「器」になるべきなのだろう。
それはまさに教育であると思うのだが、
教育については西原さんとの対談の中でも、
公教育の充実と教育にお金がかからない仕組みを作る必要性についても言及されている。


そういった教育改革がなされた上でも、現状で問題だと感じる点がある。
1.成人教育
勝間さんも夫婦問題に絡めて

正直、成人教育は本当に難しいと思っています。相手に、心からの動機付けがない限り、動かないからです。

とおっしゃっている。
いま、勉強ブームといわれているが、やはりそれは一部の人のものでしかない。
子供の教育問題が最重要だが、その親となる成人も収入につながる勉強というものだけでなく、広い意味での教育という考え方が必要なのではないかと思う。
親の意識が低ければ、子供の芽を親がつみとっているということもあるし、少子化問題も解決しない。
マスメディアも含めて成人教育の意識を全体として高めることが重要ではないだろうか。


2.家庭教育

人格に関する教育は、本当は家庭内でおこなわれてなければいけないところですね。それがさっきの家族福祉からの排除ではないですが、家庭でおこなわれていないということでしょうか。

成人教育にも関連して、すでにいたるところで家庭教育の不全というのは起こっている。
引用した人格に関する教育に関しては、躾どうこうではなく自分自身の存在意義の充足を子供が満たされていないということがあるのではないだろうか。
その不足感の集合意識が日本という社会を不幸なものにしているのだと思う。


成人教育の意識を高め、成人教育の必要性の空気をつくった上でも、家庭教育の問題は残されるだろう。
その家庭教育での失敗者が家庭教育で得られなかった自分自身の存在意義を充足させられる場所があれば、それが子供たち精神のセーフティネットになり、ひいてはその子供たちが日本を変える推進力になっていく。


3.学習意欲
やっぱり勉強は面白くない。
そう思っている子供は多いだろうし、そう思って育ってきた大人も随分多いだろう。
僕ももちろんそのひとりだ。


それは子供が悪いのか?
いや面白くないほうが悪いのだ。
それは言いすぎだとしても勝間本にあるように楽して最大の成果があげられるような仕組みを作るほうがいいではないか。


勝間さんが他の著書で書かれているような、
フォトリーディングマインドマップのようなツール。
ロジカルシンキングやラテラルシンキング、投資に対する考え方。
このようなものも含めて学習意欲を高めるような試みを大きな枠で考えるのが必要だと思う。