『この世の全部を敵に回して』 いると思って自分に酔わせてくれ
結論ありきで話を始めることはつらい。
“二十一世紀の人間失格”なるキャッチフレーズが冠せられている『この世の全部を敵に回して』。
人生を物語とするならば
始まりと終わりが大事であり、
始まりは生まれたときにすでに書かれてしまっているのだから、
自分で考えられる死のことにこだわる必要がある。
いろいろなものに自分は執着がないといいながら、
妻や子供をもってしまっている。
もつという事実に執着がなくてどちらでもいいのかもしれないが。
立てられている多くの前提が
前提の時点で破綻していて、
その前提にしたがって論が展開されているので、
納得することはできない。
そこにあるもやもやとした気分は共感できるのだが、
共感できてしまうがゆえ
前提ありきで自己の思考肯定のための論理づくり
を展開していると思えることには
さらに憤りを感じてしまう。
同族嫌悪というやつだろうか。
最後の数ページを割いて、
憐れみの感情の大切さ、
親族や特定の人間に対しての執着や愛情の否定が語られていて、
そこにいたって初めて
僕は安堵感を覚えた。
愛は条件つきであってはならない。
そして条件つきでない愛が人間には必要なのだ。
それとイーコールなのだと思う。