みにくいあひるの子


七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛(あえん)の雲へ
陰気な郵便脚夫(きやくふ)のやうに
(またアラツディン、洋燈(ラムプ)とり)
急がなければならないのか
『屈折率』宮沢賢治

れは詩集『春と修羅』の巻頭の詩です。
僕は今でももちろん好きではあるのですが、それでももっともっと宮沢賢治に傾倒していました。

それと同じように傾倒していたのが、タルコフスキーthe SMITHSだったのです。


タルコフスキーの『ノスタルジア』という映画を見て、僕は自分が映画をやるべきだと確信をしたのですが、その映画ではイタリアの温泉浴場にいるドメニコという狂人と主人公の詩人アンドレイが出会います。ドメニコは世界を救うために広場で市民に演説を、それが受け入れられないと分かると彼は焼身自殺をします。ドメニコから世界を救うための願いを受けたアンドレイは蝋燭を消さないように温泉浴場を渡りきるという約束を果たすために何度も何度も彼は温泉浴場を横断します。

そしてバンドでも高柳と一緒に何度もコピーをしたthe SMITHS
彼らの曲“Please please please let me get what I want\" の中で
Haven't had a dream in a long time
Sea,the life I've had
Can make a good man bad
So for once in my life
Let me get what I want
Load knows it would be the first time
Load knows it would be the first time
と歌う。

彼らに共通するのは暗い表情。そして決して叶えられないものを求める姿。
さらに言えば自分や自分の理想が\"みにくいあひるの子\"であり、いつかはきっと白鳥になるに違いないという思いである。

今、僕が傾倒していたこの3者を並べたときになぜ僕が彼らに傾倒していたのかは明らかだ。
それは僕自身が\"みにくいあひるの子\"であり、白鳥になるべき人間だと思っていたから。
そしてそれは決して叶えられないであろうことを叶えられることよりもよりはっきりとイメージができていたからである。
もちろん僕の表情は暗い。

それだけでは飽き足らず、僕は人間は\"みにくいあひるの子\"であり、白鳥になろうとすべきなんだという思いまで持っていた。

ここでグルがmixiで僕のことを紹介している紹介文を引用すると「かずみんと私の決定的な違いを一言で言えば、がずみんはリアリスト、私は夢想家ということになろうか。酒が入ると私はファシスト、スターリニストなどと、かずみんにからむが、彼女はそんな私を面白がって楽しんでいる。つまり私は踊らされているのだ。‥‥‥」
グルが指摘するように僕の考えは明らかにファシストのそれであり、どうしようもなく息苦しいものだった。

なぜ、僕がそのような考えに至るようになったのか。そしてなぜ今は強くその考えに囚われなくなったのかは同じことにその原因を求めることができる。