転んでもただでは起きない

「転んでもただでは起きない」
よく聞く諺なのだが、僕はこれを何かしらの習慣にしていたと思う。

例えば嫌な仕事をやらされていても、これを嫌にならずにする方法はないかなとか、嫌な仕事を自分がしなくてもいい方法はないかなとか、逆にこんな仕事は存在する必要がないとか根本から否定するようなこと言ってみたり、それも無理ならこんなことを僕にさせている社会矛盾に思いを馳せてみたり。

醜悪な喧嘩でも、なんか話のネタになるんじゃないかとか、今相手がいったこのセリフはなんかすごいなとか。おれ今石で頭叩かれようとしてるけど、なかなかこんな経験する人いないよなとか。もちろん落ち込んでいるときに人に話しても同情してもらったり、悲惨な話にならないから、もっとほとぼりが冷めて思い出らしく話せるようになってから話したりするのだが。

何を言いたかったかっていうと、別に転ばなくてもいいんだけど常に何かしらの面白さを探しながら生きたほうがいいんじゃないのかなと思うわけです。(でもそうすると転ぶ可能性も高まります)

あまりに皆くそまじめ?に、自分に不誠実に生きているような気がして、それじゃ面白さは見つからないし、しんどいんじゃないかなって思ってしまう。
これ仕事を真面目にしなくてもいいって意味に、誤解されてしまうと困ってしまうんだけどね。