ぶれない人

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50868232.html

やはり自分というものをしっかり持って、信念とまではいかなくても、行動指針のようなものが自分の根っこにある「ぶれない人」であれば、どんなにかラクに生きていけるだろうに、ということです。「ぶれない人」であれば、たくさんの人にもまれようが、逆に孤独になろうが、自分の行動に迷いがないし、責任も取れる自信があるから、ラクに乗り越えられる気がします。

それは、違います。
「ぶれない人」は、ぶれを抑えるために心身ともに多大なコストを支払っています。それを自覚している人もしていない人もいますが、コストを支払っているという点にかわりはありません。その代わり、ぶれを抑えることでその人はそれだけ多くの人々に頼られるようになりますし、そうして頼られた人々からの報酬を受け取る機会も増えます。そこだけ見ると、「ぶれない人」はラクに生きているように見えますが、水面上の彼らだけを見てラクに生きていると思われては、彼らのぶれ抑えも萎えてしまうでしょう。

もう一つ、「ぶれない人」、正確には「ぶれないふりをしている人」にとって重要なものがあります。「ぶれない支持者」です。ぶれない人がぶれずにいられるのは、順風の時も逆風の時も、自分をぶれずに支持してくれる人がいるからです。順風の時にだけ支持してくれる人におもねると、その人たちのぶれが自分にも反映され、結果としてその人の行動はずいぶんとぶれたものとなります。

そしてそういう存在に巡り会えるかどうかは、それ以前にどれだけぶれ続けてきたかにもよると思います。ぶれがあるからこそ新しい出会いがあり、ぶれがあるかこそ諸行が無常であることがわかるのではないですか。

案外、「ぶれない人」と「ぶれる人」の違いは、そういう存在が一人でもいるか否かだけかも知れませんよ。

このブログの小飼弾さんですがなかなか面白いです。このぶれない人というブログはなるほどと思いました。

僕なんかはまあ昔はもうぶれまくりでね、今もまあ、ぶれた発言をして怒られたりしているわけですが、それでもずいぶんぶれないようになったと思っているわけですが、どうでしょうか?