ポンペイ2000年前と二分心

今日も美の美に行ってきました。
ポンペイというのはヴェスヴィオ火山の大噴火により、79年に壊滅した都市のことです。18Cになって発掘されたわけなのですが、この2000年も手付かずであったために、2000年前の人の暮らしがそのまま残されているということで貴重であるわけです。

そこから2000年前の人々の息吹を感じ、心を感じるなどという話なのですが、実際のものでそれを体験できるというのは悲劇ではあったのですが、皮肉なことにそれが人類の財産になっているわけです。

で、昨日の解説の本村という歴史学者の人の話であったのですが、人類の歴史というのは5千年くらいでそのうちの4千年くらいは古代みたいなものだった。
現代なんかで言うとたった一世代や二世代くらいで考えていることがわからないとかいわれるのに、いくら進歩のスピードが違うとはいえ2千年まえの人の心がわかるわけがないと。

ここで仮説があるわけですが、BC1000年くらいまで人間は、二分心といって、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人」と呼ばれる部分に二分されていたというわけです。

これは当時の残された資料であまりにも神が身近に描かれていることや、パゾリーニの王女メディアなどで神の言葉が聞こえなくなったものの悲劇みたいなことで描かれていたりします。

まあもちろん仮説の域を出ない話ではあるのですが、占いとか精神分裂病みたいなものは二分心の名残かもしれません。

二分心をあらわすエピソードがあって、アガメムノンアキレウスの愛人を奪った件を問い詰められたとき「その責めはわしにではなくゼウスならびに神々云々にある。そのかたがたがわしの胸中に無惨な迷いを打ち込まれたのであった--わしになにができたであろう。神というものはどのようなことでもしとげられるのだからな」と言い返し、それにアキレウスもそりゃあ仕方がないですねと納得したというのですから。

もしかすると、酒宴の席でのエロ成田は二分心のあらわれかもしれないですなあ。二分心って使える