「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」

これ、実はバカの壁を読んで一番印象に残った言葉だったんです。それでそこの書評でいいのがあったんでそのまま載せますね。

「自分は変わらない」という思い込み、これも一つの「バカの壁」である。私は私と自我を固定した瞬間から、自らの周りに壁が出来る。
 <バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。P194>
 私利私欲の蛇と化す個人主義、他人の気持ちを分かろうともしない絶対的な原理主義はここから芽生えるといえよう。その弊害たるや計り知れない。著者は、この種の恐るべき「バカの壁」を打ち壊す論考として、第四章において「万物流転、情報不変」と銘打ち、「知る」ことは「死ぬ」ことであると謳う。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」。学問をして何かを知ると、知る前の自分は死んで生まれ変わるのだという。人は何かを知って生まれ変わり続けているのだと。そうあらねばならない、との思いが伝わってくる。<以上抜粋>

原理主義とまでいかなくても、「私は私なんだから」「私らしく」「私はそういう人ではない」とか固定した私を誇らしげに見せびらかされることはたびたびある。そうするともうこの人とは何も話せないんじゃないかと本当に悲しくなる。

変わらないものを求めて、変わるものはついていけないと言う。「変わったね」とか言う。恋人にも友達にも変わらないことを求めたりもする。そういう人もいる。バカバカしいと思う。

本ではこうも書いてあった、昨日の自分は今日はもう死んでいる、違う自分になっている。毎日死んでいる、だから死ぬということもそう考えれば、怯えることではないでしょ?
怯えることはないは極論かもしれないけれど、常に昨日の自分を能動的に殺し続けるように生きたいと思った